005 滋賀県 日吉大社の金大巌

【Introduction of Iwakura 5】


□分類:磐座(狭義の磐座) 

□信仰状況:祭祀されていないが過去に信仰の形跡あり

□岩石の形状:巨岩単体、鏡石

□備考:ランドマーク


□住所:滋賀県大津市坂本

□緯度経度:35°04'26.8"N 135°51'36.5"E

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  神社の創建は、崇神天皇の御代570年に、比叡山の八王子山に大山咋神を祀ったのが始まりと言われています。その後、天智天皇が大津宮を遷都するにともなって、668年に三輪山の神が勧請されています。788年に、最澄がこの地に、比叡山延暦寺を創建したとき、この日吉(ひえ)社を山の鎮守としたため、神仏習合が進みました。平安時代に、日吉の神は釈迦の垂迹となり、山王権現となり、その後の山王神道へとつながっていきます。

現在、全国に3800社以上存在する山王神社の総本宮となっています。

山王七社から成り立つ日吉(ひえ)大社は、一宮に大己貴神、二宮に大山咋神を祀っています。大己貴神は、天智天皇が勧請した、三輪山の神です。『古事記』に、「大山咋神、亦の名は山末之大主神。此の神は近つ淡海国の日枝の山に坐し、また葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ。」と書かれており、日吉大社の本来の神が、二宮の大山咋神であることは、いうまでもありません。

標高330メートルの八王子山の牛尾宮が、奥宮となります。大山咋神の荒魂を祀っており、大山咋神が本来祀られていた場所です。そこに、巨大な金大巌(こがねのおおいわ)という磐座が鎮座しています。眼下に琵琶湖が広がる山の上に鎮座する金大巌の磐座信仰が、日吉大社の原初の形であったことは、間違いありません。

春にはこの奥宮まで担ぎ上げられた神輿に、神様がお遷りになり、山麓の二宮へ渡る神事が行なわれます。これはまぎれもない「みあれ神事」で、金大巌へ降り立った神を迎える神事です。

金大巌は、10メートルもの巨石で、表面が平坦で、ほぼ東を向いています。朝日に輝く金大巌と、呼ばれていたことから、鏡石であったと考えられます。今は東の方向に社殿が建てられてしまっていますが、かつては、この鏡石は朝日に照らされて、黄金色に輝いていたのでしょう。

 

山の上の磐座信仰は、時が経つにしたがって山をくだり、神社信仰に変貌していきます。この日吉大社も、山の上の金大巌から山の麓に祭祀場が移った後に、建てられた神社と考えられます。さらに、薬師寺慎一氏や野崎豊氏によると、二宮の祭祀場は、東本宮の本殿ではなく、樹下宮であるとのことです。東本宮の本殿が北を拝しているのに対し、樹下宮は西を拝しています。つまり、樹下宮は、八王子山の金大巌を拝んでいるのです。

また、あまり一般には知られていませんが、この樹下宮の裏には浅い井戸が隠されています。この井戸は山麓に湧き出た泉ですが、社殿が建てられる以前は、この泉から金大巌を拝んでいたと考えられます。

山の上の磐座で行われていた信仰は、麓の泉に移動し、その後、社殿が建てられ、神様の名前がついて、神社信仰となっていったのです。 

『イワクラ学初級編(平津豊、ともはつよし社、2016)』より

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