044 奈良県 山添村の牛ヶ峰岩屋枡型岩

【Introduction of Iwakura 44】


□分類:天文利用のための岩石遺構(広義のイワクラ) 

□信仰状況:寺院に祭祀されている 【岩屋】寺院として利用し磨崖仏【枡形岩】祠がある 

□岩石の形状:巨岩組 【岩屋】上部に磨崖仏、枡形岩】50メートル上方に枡形のある巨岩

□備考:【岩屋】人工物、岩石遺構と太陽の関係の分類 ノーマルA-3型 


□住所:奈良県山辺郡山添村北野

□緯度経度:34°41'43.07"N 135°59'08.05"E

  (googleに入力すれば場所が表示されます)

Google マップは現在の Cookie 設定では表示されません。「コンテンツを見る」を選択し、Google マップの Cookie 設定に同意すると閲覧できます。詳細は Google マップの[プライバシーポリシー]をご確認ください。Cookie の利用は、[Cookie 設定]からいつでも変更できます。

奈良県山辺郡山添村の布目ダム北東部の山中に牛ヶ峰岩屋枡型岩があります。

岩屋は、高さ6メートル幅13メートル奥行き6メートルの巨石に大日如来が刻まれており、岩屋の中に護摩壇があります。また、50メートル登ると、もっと大きな枡形岩が現れます。高さ16メートル、幅10メートル、奥行き7メートルの巨石で正面は少し湾曲した壁面になっています。この枡型岩の上部には、四角い穴が開けられており蓋が閉められています。

この地域一帯は、「みやま」と呼ばれており、南都春日社の跡と考えられます。神仏習合によって、もともと磐座であった岩の表面に仏を彫り、磐座を仏教が利用したものと推測します。

山添村役場のホームページには、次のように紹介されています。「824年、弘法大師が北野腰越の宝泉寺に住んでいたとき、夢枕に大日如来が立ち、東大寺の杣山であった牛ヶ峰を指さして「仏教の根本の基を開く霊場とするように」とのお告げがありました。大師は、のみとつちで岩窟の大岩に大日如来を刻んだ後、その岩の上部に枡型の切れ目をつけ、岩を掘り取った中にのみとつちを納めました。以来、下の岩窟を岩屋、上を枡型岩と呼ぶようになりました。岩屋は岩屋寺と呼ばれ、大師が彫った大日如来を本尊として岩屋の中に不動明王を入り口に善女龍王を祀る修業の聖地となりました。1868年の神仏分離令によって起きた廃仏棄釈の波により荒れ果てていましたが、北野西村の人びとが枡型岩の枡型を開き、一般に公開したことによって、岩屋枡型岩は広く世に知られるようになり、多くの人が巡礼するようになりました。(筆者要約)」

実際に、枡型から出てきたのは、のみとつちではなく御正躰で、村で大切に保管されているそうです。

また、大日如来が彫られた面は西を向いており、夕日が大日如来を照らすと同時に岩屋の奥に射し込む構造に造られています。夕日は、季節によって場所を変え、向って右の岩屋に冬至の日の入りが、向って左の岩屋に夏至の日の入りが射し込みます。この現象について、金山巨石群リサーチセンターが2013年に調査を行い、岩屋への光の射し込み方で、冬至や夏至がわかるため、この巨石にカレンダー機構が組み込まれているのではないかとの説を発表しています。『岩石遺構と太陽の関係の分類(平津豊、J-AASJ、2022-1 vol4、2023)』では、ノーマルA-3型と考えられます。

#イワクラ #磐座 #巨石 #megalith #古代祭祀 #巨石文明 #古代文明 #奈良県 #山添村 #牛ヶ峰岩屋枡型岩 #牛ヶ峰 #枡型岩


本ページのリンクおよびシェアは自由です。画像や文章を抜き出して 引用する場合は出典を明記してください。リンク、シェア、出展を明記しての引用は許可していますが、「転載」、「盗用」、「盗作」は禁止しています。最近、このページの内容をそのままコピーして転載しているサイトを見かけますが、まとめサイト等への掲載や転載は禁止します。