082 兵庫県 淡路島の東山寺奥の院の岩石群

【Introduction of Iwakura 82】


□分類:目的不明の岩石遺構(広義のイワクラ)

□信仰状況:祭祀されてない

□岩石の形状:巨岩組

□備考:人工物と推測、 周辺に岩石群


□住所: 兵庫県淡路市長澤

□緯度経度:34°28’49.20”N 134°53’06.94”E

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淡路島の東山寺(とうざんじ)は、819年に弘法大師が伊弉諾神宮の鎮護するために開祖したと伝えられる古刹です。当時の伽藍は焼失し、鎌倉時代の1286年に再建され、多くの僧兵を抱える本山として栄えました。戦国時代に檀家がない東山寺は次第に廃寺に近い状況となりました。弘法大師の夢のお告げを得た讃岐出身の佐伯心随が再興に心血を注ぎます。幕末には、勤王の志士達の隠れ家となりました。明治になり、廃仏毀釈の嵐が吹くと、岩清水八幡宮護国寺の薬師如来像と十二神将像も打ち捨てられます。岩清水の道基上人は心随尼僧を頼り、1869年に人知れず仏像を運び出し、この東山寺へ持ち込んだと伝わります。今、重要文化財として大切に守られています。

また、東山寺には「三十五日の山参り」という話が伝わっています。亡くなった父親が息子の枕元に現れ、極楽浄土を目指す途中で餓鬼が襲ってきて行き着けないので、東山寺の裏山からおにぎりを転がして欲しいと伝えます。息子があの世とこの世の間である東山寺の裏山でおにぎりを転がすと、餓鬼達がおにぎりを奪い合い、その間に父親は無事に極楽へ行くことができました。

この昔話に登場する裏山の場所かどうかは定かではありませんが、東山寺から北へ400メートルほど離れた場所に奥の院があり、そこに巨大な岩組が残っています。

頂上に中心岩があり、周りを岩が何重にも囲んでいます。南側には、菱形の岩を岩と岩の間に挟んで浮かした状態の岩組があります。これは女陰で、その北側には男根と思われる天に突き出た三角の岩もあります。舟木石上と比べると洗練されたデザインです。また東西を基軸にしていた舟木石上に対し、この磐座は南北を基軸にしているようです。別の氏族が造ったのではないかと思えます。

この巨岩組は放置され、蔓が岩を覆い隠しています。いずれ樹木に沈んでしまうと思います。講演会では忘れられたイワクラの例として説明させていただいています。 

この岩石群は、東山寺の奥の院の直ぐ側に存在していますが、寺院がこの岩石群を祭祀している様子はありません。

人工的に造られた巨岩組と考えられますので目的不明の広義のイワクラと分類しました。

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