067 兵庫県 井関三神社奥宮の磐座

【Introduction of Iwakura 67】


□分類:磐座(狭義の磐座)

□信仰状況:神社に祭祀されている

□岩石の形状:巨岩単体、メンヒル(立石)

□備考:熊に注意


□住所: 兵庫県たつの市揖西町中垣内

□緯度経度:34°54'11.21"N 134°31'08.42"E

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兵庫県たつの市中垣内に井関三神社が鎮座しています。天照国照彦火明櫛玉饒速日大神、瀬織津比咩大神、建御名方大神という珍しい神々が祀られています。

社伝によると、崇神天皇2年に播磨国揖保郡亀山に天照国照彦火明櫛玉饒速日命が勅命により鎮座したのが始まりとされ、1555年に中垣内村の八瀬氏(庄屋)によって、山城国八瀬郷より瀬織津姫命を勧請し、1672年に脇坂安政が龍野城に入るとき、前任地の信濃国飯田の諏訪神社より建御名方命を勧請したと伝わっています。

井関三神社では、「さいれん坊主」という奇祭が行われます。奇妙なほおずき形の提灯を掲げて、鉦と太鼓を鳴らしながら神社まで行進し、神社の境内では、輪を描いて何度も何度も回る祭です。もとは雨乞いの祭りでしたが、1441年の嘉吉の乱で幕府に討たれた赤松満祐一族の追悼が重なって、今日のような祭りとなったそうです。

井関三神社から真北に3キロメートル離れた亀山(きのやま)に、磐座が鎮座しています。3メートルの立派なメンヒルで、横に平らな岩があり人工的に組まれたものと推測します。その磐座に寄り添うように置かれている石の小祠が井関三神社の奥宮です。

崇神天皇の勅命で、亀山に天照国照彦火明櫛玉饒速日大神が鎮座したのが始まりであり、その場所がこの磐座と考えられます。この饒速日神は、徳川時代に中垣内の井関三神社に遷座しています。このケースは、筆者の持論である山の上の磐座祭祀が山の下に降りてきて神社神道へ変遷していく例の一つにあたります(筆者持論、『イワクラ学初級編(2016)』)。

また、この磐座には武甕槌神も古くから祀られており、古代の山城から室町時代の赤松氏の城山城にわたって守護神としての崇敬を受けていたようです。

したがって、この磐座には饒速日神が祀られていましたが、いつの頃か饒速日神と武甕槌神の2柱が祀られるようになり、江戸時代に饒速日神が遷座したので、現在の磐座には武甕槌神が祀られていることになります。

井関三神社から2キロメートル南東に粒坐天照神社(いいぼにますあまてらすじんじゃ)が鎮座しています。元は日山神社と呼ばれ、的場山の天津津見神社から古宮神社を経て、現在の地に鎮座したと考えられています。これもまた、持論の山宮(天津津見神社)から里宮(古宮神社)そして田宮(粒坐天照神社)へと変遷する形に良く当てはまります。

この神社には、天照国照彦火明神が祀られており、推古天皇2年(594年)の創祀と伝わる式内社・粒坐天照神社に比定されている神社ですが、井関三神社も「式内天照神社」と呼ばれています。粒坐天照神社は推古天皇の御代に的場山から降りてきた火明神を祀る神社であり、井関三神社は崇神天皇の御代に亀山から降りてきた饒速日を祀る神社となっており、この2社は、別系統の祭祀と考えられます。 

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