【Introduction of Iwakura 55】
□分類:磐座(狭義の磐座)
□信仰状況:民間に祭祀されている
□岩石の形状:岩単体
□備考:人工物
□住所: 長野県茅野市豊平
□緯度経度:36°00'44.44"N 138°13'55.90"E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
縄文のビーナスと仮面の女神という有名な2体の国宝の縄文土偶を展示している茅野市尖石縄文考古館の近くに尖石遺跡があります。
尖石遺跡は、1893年に小平小平治が学会に発表してから鳥居龍蔵や伏見宮博英王殿下が少し発掘を行いましたが、本格的に発掘し続けたのは宮坂英弌という在野の研究者です。宮坂氏は、尖石遺跡の南北の2つの居住地区に挟まれた地区には住居跡が存在せず、列石や小竪穴が存在する社会的地区が存在することを発見し、縄文時代の集落の構造に初めて言及しました。1942年に国の史跡保存地区に指定されるまで、宮坂氏は個人の力で発掘を続けたのです。在野の研究者に大変勇気を与える実例です。
この尖石遺跡のはずれに、発掘が開始される前から尖石という名の岩石が存在しています。縄文遺跡の名前もこの岩石に因んだものです。現在は、注連縄がかけられ、四方に御柱を立てて祀られています。側に置いてある小さな祠は、昭和初期の写真にも写っていますので、尖石遺跡において、本格的な発掘が始まる前から祀られていたと考えられます。岩質は安山岩で頂上部東面の窪みは人工的に削ったもので、縄文時代に磨製石器の砥石として用いられたのではないかという説があります。南面の凹凸も、縄文時代よりももっと古い時代に削った跡が風化したものの可能性があります。
この尖石の下に宝物が隠されているという言い伝えがあり、村人がこっそり掘ったところ、その夜に熱病にかかって死亡したという話が伝わっています。尖石は「祟石」の性格も備えていたようです。
この尖石は三角錐の形をしており、恵那笠置山のピラミッド石に非常に良く似ているのでつながりがあるかもしれません。
各面と稜線の方位を測定してみると、東面は東に向いていて、西の稜線もほぼ、真西(275度)を向いています。また、北東の稜線は聖なる山である蓼科山を向いています。このように、尖石から意味のある方位が見つかることから、この尖石は自然の岩石を祀ったものではなく、三角錐に整形した岩石を方位を意識して、ここに置いたのではないかと考えます。
蓼科山の神を降ろす磐座と分類しましたが、祟石としての石神の可能性もあります。
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