097 岡山県 西幸西の大國神社の岩石群

【Introduction of Iwakura 97】


□分類:岩石信仰(広義のイワクラ)

□信仰状況:祭祀されていないが信仰の形跡あり

□岩石の形状:岩群

□備考:周辺に鞍掛岩


□住所:岡山県岡山市東区西幸西

□緯度経度:34°36'34.06"N 134°03'00.25"E

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岡山県の吉井川東河口の西幸西に大國神社があります。

Introduction of Iwakura 91で紹介したボンボン岩の直ぐ近くです。

小高い丘の上に神社が建っています。

「大國神社」という名前から大国主の命を祀っているかと思いますが、そうではなく平安時代末期の武将を祀っています。

石碑によると、1184年に源平合戦で敗れた不破慎之介と伸之介の兄弟がこの鍋島まで落ち延び、弟の伸之介は、馬の鞍を掛けなおして上寺方面に逃げたが、慎之介はこの場所で亡くなり、大國殿として祀られるようになったと伝わります。1804年に西幸西の住人が石祠、石燈籠を置き、1843年に社が建てられました。

神社の直ぐ北には、伸之介が鞍を掛けた鞍掛岩があります。

大國神社の社の後ろには岩の上に石の祠があり、そのさらに奥に岩群があることから、神社は、この岩石群を拝しているように思えます。

また、この丘が「鍋島」と言う名前であることから、かつては島であったことがわかります。海に浮かぶ小島の岩石が信仰されることは、よくあることです。

平安時代末に不破慎之介が祀られる前に、この場所には岩石信仰があり、神聖視されていたのではないでしょうか。

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