060 京都府 伏見稲荷大社の雷石

【Introduction of Iwakura 60】


□分類:岩石信仰(広義のイワクラ)

□信仰状況:神社に祭祀されている 

□岩石の形状:巨岩単体、メンヒル(立石)

□備考:周辺に剱石や御饌石がある


□住所: 京都府京都市伏見区稲荷山

□緯度経度:34°58'06.72"N 135°47'09.30"E

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全国に3万社あるといわれる稲荷神社の総本宮が京都の伏見稲荷大社です。

朱塗りの千本鳥居が外国からの観光客に人気ですが、鳥居を奉納するという風習は江戸時代から始まったものです。また、お塚と呼ばれる神名を刻んだ石と小さな鳥居がいたるところに置かれており、その数は1万基を超えるといわれていますが、このお塚は、個人が設置したもので私的な神を祀る奉拝所というべきものです。これらには惑わされずに、神社の本質を見ていくと、伏見稲荷大社の東500メートルにある稲荷山が本来の祭祀場であることが分かります。

現在の位置に伏見稲荷大社が建てられたのは1438年で、それまでは稲荷山上を7周参拝するとご利益がある「お山めぐり」が行われていました。あの清少納言も1000年に稲荷山に登り、そのつらさと愚痴を「徒然草」に残しています。

さらに遡ると、711年に秦伊侶具(はたのいろぐ)が、奢って餅を的にして矢を射ると、その餅は白鳥になって飛び去って、山の頂上に止まって稲が生えたという故事が残っています。稲が成ったことから「伊奈利」と呼ばれ、この山は秦氏の私的な神社だったのです。

この稲荷山には、祭祀に関わる3つの岩石が存在しています。1つ目は御膳谷の御饌石です。この石の上に酒を注いだ土器を供える「山上の儀」という祭祀が今も行なわれています。2つ目は、長者社神蹟の御剱社の中にある剱石です。御剱社の側に焼刃の水と呼ばれる井戸もあり、刀鍛冶の信仰が篤い場所です。謡曲では、三条小鍛冶宗近が、稲荷山で稲荷大神の助けを得て一条天皇の名刀小狐丸を鍛えたと語られます。昭和30年以降、御剱社は閉ざされていて中の剱石は見ることはできません。

3つ目は、長者社神蹟の雷石(らいせき)です。長者社は秦氏の祖神を祀った社といわれていますので、まさにこの場所が伏見稲荷大社の原初の祭祀場であったと思います。稲荷大社の秦大西親盛が1732に編纂した『稲荷谷響記』には、昔、この岩に雷が落ちたので、神がこの岩に雷を縛ったという伝承が書かれています。日本では雷の光を稲妻というように、古くから稲と雷が交わって実がつくと信じられており、稲と雷には深い関係性があります。余談ですが、雷が多いと豊作になるのは迷信ではなく、プラズマ照射による植物の成長促進が九州大学の林信哉教授らによって研究されています。

この雷石に落ちた雷が、五穀豊穣の伏見稲荷大社の始まりのかもしれません。

なお、雷が岩石に落ちて縛られているという伝承から、雷石は石神に分類しました。 

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