137 沖縄県 斎場御嶽の三庫理(セーファーウタキのサングーイ)

【Introduction of Iwakura 137】


 

□分類:信仰設備(広義のイワクラ)

□信仰状況:民間に祭祀されている

□岩石の形状:巨岩

□備考: 巨岩が寄り添って形成された三角形の空間の奥にある。現在(2024)、立入禁止。


 

□住所:沖縄県南城市知念久手堅

□緯度経度:26°10'24.86"N 127°49'38.72"E

 

  (googleに入力すれば場所が表示されます)

Google マップは現在の Cookie 設定では表示されません。「コンテンツを見る」を選択し、Google マップの Cookie 設定に同意すると閲覧できます。詳細は Google マップの[プライバシーポリシー]をご確認ください。Cookie の利用は、[Cookie 設定]からいつでも変更できます。

沖縄島の南の知念岬の小高い山の上にセーファーウタキ(斎場御嶽)があります。この場所は、琉球の祖神であるアマミキヨが降臨した久高島を6キロメートル東に望むことができる場所にあります。

ウタキは聖地を意味し、中でもセーファーウタキは、琉球王国最高の聖地で、チフィジン(聞得大君・きこえのおおきみ)の就任式であるオアラウリ(御新下り)が行われていた場所です。

チフィジンは、琉球国王のヲナリ神であるため王族の女性が任命されて、国王と王国全土を霊的に守護しました。琉球の女性司祭であるノロ(祝女)の頂点に立ち、セーファーウタキを掌管しました。「ヲナリ神」とは、妹(ヲナリ)が兄(エケリ)を霊的に守ることを意味し、琉球王国の祭政一致体制の基盤となりました。男性を守護するのが妻ではなく肉親の姉妹であるところがポイントです。この思想は魏志倭人伝や記紀の国生み神話とも共通しており東南アジアから東アジアの広い地域に見られる兄妹始祖型洪水神話の影響を受けていると思います。

セーファーウタキは、15世紀から始まる琉球王国の聖地でしたが、琉球開闢伝説にも登場することからその歴史はもっと古いと推測します。弥生時代の遺物が発掘されているため、少なくとも3世紀まで遡れると考えています。

1897年に琉球国王尚泰が退位するまでは、琉球王府の直轄だったので一般人は立ち入り禁止で、さらに男子禁制の場所でした。琉球王国が崩壊して琉球藩となると、無秩序な樹木の伐採や瓦葺の建物が建てられ、第二次世界大戦中はセーファーウタキにも砲弾が落ちて岩石が崩れました。戦後は、セーファーウタキでも薪木の採集が行われ禿山となっていました。

1994年より整備事業が始まり、植栽・戦争被害の修復・宗教団体により造られた拝所の撤去・基壇等の復元・参道の新設が行われ、できる限り元の姿に復元されました。これらの努力により2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」として世界遺産に登録されました。

現在では、石灰岩の巨岩の周りに亜熱帯の植物が鬱蒼としていて神秘的な場所となっています。セーファーウタキには、ウグフーイ(大庫理)、ユインチ(寄満)、サングーイ(三庫理)、チョウノハナといったイビが複数存在しています。イビとは、ウタキの奥にある神域で祈りの場所です。樹木や岩石に囲われた中に設けられ香炉が置かれています。セーファーウタキのイビの中では、岩石が三角形の空間を形成しているサングーイが最も有名です。三角形の空間の奥にサングーイ、右手にチョウノハナがあります。三角形の空間の手前には、2本の鍾乳石から滴る水を受け取るためにシキヨダユルアマガヌビーとアマダユルアシカヌビーの壺が置かれており、この水は祭事に使用されます。三角形の空間を形成している巨岩は、岩棚を形成していた部分が崩壊して寄りかかったもので、自然のものと考えられます。

このサングーイという祈り場は、巨岩の前に香炉を置いた形となっており、この場所で神への祈りが捧げられますが、巨岩は神の依り代なのか、単なる祈り場を取り囲む岩壁なのか曖昧です。岩石で形成された祭祀場と考えて、信仰設備(広義のイワクラ)に分類しました。

#イワクラ #磐座 #巨石 #megalith #古代祭祀 #巨石文明 #古代文明 #沖縄県 #琉球 #斎場御嶽 #三庫理 #セーファーウタキ #サングーイの磐座


本ページのリンクおよびシェアは自由です。画像や文章を抜き出して 引用する場合は出典を明記してください。リンク、シェア、出展を明記しての引用は許可していますが、「転載」、「盗用」、「盗作」は禁止しています。最近、このページの内容をそのままコピーして転載しているサイトを見かけますが、まとめサイト等への掲載や転載は禁止します。


[さらに詳細な情報]