【Introduction of Iwakura 64】
□分類:磐座(狭義の磐座)
□信仰状況:神社に祭祀されている
□岩石の形状:巨岩組
□備考: 真宮神社にはストーンサークル(環状列石)、天文利用のための岩石遺構の可能性
□住所: 岡山県倉敷市西尾
□緯度経度:34°39'28.89"N 133°49'37.43"E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
岡山県倉敷市西尾の真宮(まみや、しんみや)神社は、王墓山の中に鎮座している神社です。
王墓山は、現在は宅地で分断されてしまっていますが、もともとは60基以上もの遺跡のある丘でした。中でも6世紀後半の王墓山古墳は20メートルの円墳で、四仏四獣鏡をはじめ装馬具や武具などの副葬品が出土しており、強大な王の存在が予想されます。
王墓山の南の端に鎮座する真宮神社は、1メートルほどの41個の石で囲まれており、ストーンサークルを形成しています。この環状列石は神社の石垣ではなく、神社が建てられる前からこの場所に存在していた祭祀場ではないかと考えます。
この神社の側に蛇頭岩と呼ばれる磐座が祀られています。正面から見るとまさに大蛇がこちらを睨んでいるような造形で恐ろしさを感じます。
王墓山古墳と楯築遺跡【Introduction of Iwakura 35】の間に、弥生時代中期の女男岩(みょうといわ)遺跡がありました。この遺跡は、家型特殊器台が出土したことで有名ですが、用途不明の浅い溝が見つかっています。この溝について、斎藤守弘氏は、「この奇妙な溝状遺構こそ、日本的に変形された聖サーペントではないだろうか。」と推測されています。この「サーペント」は、1846年にエドウィンデーヴィスがオハイオで発見した蛇状の土盛り遺跡、サーペントマウンドを意味しています。この遺跡はフォートエンシェント族が1070年頃に造ったとする説が有力で、その形は明確に蛇を模ったものです。頭部については、丸い頭部なのか、それとも卵を飲み込もうとしている姿なのか、2とおりの解釈ができますが。最近、夏至の日に蛇の頭から卵を見ると太陽が沈むことが分かり、暦を知る装置だったのではないかと言われています。斎藤氏は「日本的に変形された聖サーペント」と主張されていますが、年代が逆で、女男岩遺跡の方がサーペントマウンドより古いのです。
一方、著者は、女男岩遺跡の溝状遺構にこだわらずに、足守川から真宮神社まで全長約800メートルの王墓山自体が蛇を模った遺構だったのではないかと考えます。
縄文時代の人々は、北の楯築遺跡の場所に立石でストーンサークルを造り、南の端の真宮神社の位置に丸石でストーンサークルを造り、大蛇の頭の位置に蛇頭岩を置いて聖なる場所としました。そして、弥生から古墳時代にその聖地を王の墓に利用したのではないでしょうか。
また、古代には、真宮神社の南側まで海が迫っており、南西にある岩倉神社【Introduction of Iwakura 3】は、海の中に浮かぶ真円の小島でした。この岩倉神社を大蛇が飲み込む卵と見立てたのではないでしょうか。
また、真宮神社から岩倉神社の方向は冬至の日の出方向にあたります。オハイオのサーペントマウンドが夏至の日を知らせる施設であることと同じように、王墓山の大蛇は冬至の日を知らせる施設だったのではないでしょうか。
神社に祭祀されているので、分類は磐座としましたが、天文考古学的遺跡の可能性があります。
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