035 岡山県 楯築神社の立石

【Introduction of Iwakura 35】


□分類:磐座(狭義の磐座)

□信仰状況:神社に祭祀されている

□岩石の形状:岩群、ストーンサークル(環状列石)

□備考:人工物、 形状の異なるメンヒル(立石)が円形に並ぶ


□住所:岡山県倉敷市矢部

□緯度経度:34°39'47.46"N 133°49'31.85"E

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楯築(たてつき)遺跡は、2世紀後半から3世紀前半に造られた弥生時代の最大級の墳丘墓で、日本の古代史において極めて重要な遺跡です。

円墳の上部には、1つの石を中心に東西南北に4つの石があります。東の石を除いて、全ての石は、長辺が地面に垂直になっていますので立石であり、人工的に設置したものです。東の石については、立石が倒れたものと考えられます。

さて、この墳丘墓に埋葬されたのは弥生時代ですが、この立石群はいつ頃造られたのでしょうか。

楯築遺跡の発掘を指揮した近藤義郎氏は、聖域を守る石垣と推測されており、埋葬後に立石群が造られたとの説をとっています。これに対し、磐座研究家の薬師寺慎一氏は、元々磐座祭祀場であった丘を、弥生時代に墓として利用したと主張されています。

薬師寺説の根拠は立石の配置です。北、東、西の立石が中央の立石からほぼ等間隔の位置にあるのに対して、南の立石だけ離れており、その間から木棺が出土しています。つまり、円形の丘の上に立石群が設置された祭祀場があり聖地であった。弥生時代にこの丘の北東部に突出部を追加した。その突出部の突出方向に対して垂直になるように円形の丘の中央に木棺を埋葬しようとしたが、既にその位置に立っていた南の立石が邪魔になったため移動させた。というものです。また、薬師寺氏は、聖域を守る石垣ならば、なぜ不揃いな石を用いているのか説明がつかないとも言われており、非常に説得力があります。

この不揃いな石に対して、友人の岡本静雄氏は、それぞれの石の形は日本各地の民族を表すものではないか、という大変興味ある仮説を立てられました。この仮説が真実ならば、この場所に日本各地の民族が集まって祭祀をしていたことになります。奈良の纏向遺跡においては、南関東、北陸、山陰、西部瀬戸内製の土器が出土していることを理由に纏向遺跡が古墳時代前期の日本の中心地と推定されています。

そうであるのならば、まさに楯築遺跡が弥生時代以前の日本の中心地だったのではないかと想像が膨らみます。

ここでは、薬師寺氏の推測を採用して磐座と分類しました。

 

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