034 岡山県 楯築神社の弧帯文石

【Introduction of Iwakura 34】


□分類:磐座(狭義の磐座)

□信仰状況:神社に祭祀されている

□岩石の形状:石単体

□備考:人工物、別に類似の石が出土


□住所:岡山県倉敷市矢部

□緯度経度:34°39'46.2"N 133°49'31.3"E

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楯築(たてつき)遺跡は、2世紀後半から3世紀前半に造られた弥生時代の最大級の墳丘墓で、日本の古代史において極めて重要な遺跡です。

円墳に2つの方墳が連なった双方中円墳という珍しい形であり、円墳から前方後円墳へと発展する過程の墳丘墓とする説もあります。

円墳の中心部と南東部に埋葬施設があり、特に中心部からは、長さ9メートルもの巨大な墓の中に2メートルの木棺が見つかり、ヒスイの勾玉、瑪瑙の管玉、碧玉の首飾り、47センチメートルの鉄剣などが出土しています。特に、木棺の中に32キログラムもの朱が厚く敷かれており、出土した朱の量としては異常です。被葬者は相当高貴な女性と推測されています。

また、木棺の上から弧帯文を刻んだ石がバラバラに壊れた形で出土しました。復元すると約75×約30×約18センチメートルの石になります。

これに類似した一回り大きな約90×約90×約30センチメートルの石が楯築神社の御神体として祀られています。

御神体の弧帯文石(旋帯文石ともいう)を詳しく観察すると、全体に複雑な弧帯文が彫られており、帯の中心は深く彫られて、中央に突起を造っていて、まるで蛇の目のようです。この目は裏にも造られており、全体で20個あります。帯は、10~11の細かな線で分割されており、端と真ん中の線が少し太めに彫られています。裏の帯にはその細い線は彫られていません。また、顔の反対側の尻の部分も細い線は彫られていません。縦約18×横約15センチメートルの大きさの顔は、意図的に削り取られたように見えます。

楯築遺跡の発掘を指揮した近藤義郎氏は、「亡き首長を緊縛し、そのことによって霊威が増大することを願っての呪術的な行為の表現である」と考え、磐座研究家の薬師寺慎一氏は、「御神体石は、首長が楯築の丘上で行っていた神祭り、特に水に関わる祭祀に際しての水の神の依代であった。その後、首長が死んで神として祭られることになった時、次代の首長はこのような大切な意味を持った石を死んだ首長と不離一体のものとして祭るようにした。」と考えました。近藤氏は2つの弧帯文石を葬儀用に造ったものと考え、薬師寺氏は、御神体石は首長が生前に祭祀していたもので、首長が死亡した時に、それを模して小さい弧帯文石を造って破壊して墓に埋めたと考えています。

ここでは、薬師寺氏の推測を採用して磐座と分類しました。 

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