175 奈良県 三輪山 大神神社の奥津磐座

【Introduction of Iwakura175】Visit:2008.11.02/Photo:2020.3.29/Write:2025.5.31


□分類:磐座(狭義の磐座)

□信仰状況:神社に祭祀されている。

□岩石の形状:岩石群

 

□備考:禁足地にあり、狭井神社で申し込むと登拝できる。写真撮影は禁止。


□住所:奈良県桜井市三輪

□緯度経度:34°32'06.9"N 135°52'00.02"E

 

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一般の神社では本殿が祭祀の中心となりますが、奈良県桜井市三輪の大神(おおみわ)神社は、本殿を設けずに拝殿の向こうに三つ鳥居と呼ばれる独特の鳥居を設けて、三輪山そのものを祭祀する形式をとっています。つまり神社様式が本殿へと発展する前の形式を保持している神社となり(持論 磐座から神社への変遷説)、最も古い神社と言われる所以です。

三つ鳥居から三輪山へ向う禁足地の領域からは、子持ち勾玉や須恵器が出土しており、少なくとも6~7世紀には、三輪山に対する祭祀が行われていました。

三輪山は、美しい円錐形の山容で、神の住まう神奈備(かむなび)山の代表といえるでしょう。もちろん纒向遺跡との関係は密接なものだっだと考えられます。

この標高467メートルの三輪山の山頂に磐座が鎮座しています。神奈備山に存在する磐座を山頂から麓にかけて奥津(おくつ)磐座、中津(なかつ)磐座、辺津(へつ)磐座と三段に分類することがありますが、三輪山でもそのように名付けられています。

大神神社の北に位置する狭井神社で、登拝を願い出て住所氏名を記録すると、決められた1本道以外の道を外れないこと、写真撮影は禁止であることを注意され、たすきと杖を借りて登拝することができます。登り始めると、荷物を持たない近所の人たちが素足で山道を降りてくるのに出会います。この山への信仰が生活の一部となっていることを実感する瞬間です。小さな滝場を過ぎ、勾配が急になると、中津磐座と呼ばれる岩石群が現れます。一本道で登拝することしか許されていないために確認はできませんが、三輪山の中腹には祭祀されていた岩石は数多く存在するようで、中津磐座以外にも注連縄を巻かれた岩石が存在しています。

さらに登ると、木々が少なくなり空が開けて頂上に着きます。頂上には、高宮(こうのみや)神社という小さな社があります。御祭神の日向御子神については諸説ありますが、太陽信仰に関係する神と考えられます。一方、三輪山の麓に神坐日向(みわにますひむかい)神社が鎮座しています。珍しく北面している小さな神社です。この御祭神は、櫛御方命、飯肩巣見命、建甕槌命でいずれも大物主神の子孫で、この後裔に大神神社の社家の一つである高宮家があります。この高宮家の隣に神坐日向神社があることから、この神社は高宮神主家内に祀られていた氏神と考えられます。そのように考えると、どうも、この2つの神社の名称が入れ替わってしまったようです。つまり山頂の高宮神社の本来の名称は神坐日向神社で御祭神は日向御子神、麓の神坐日向神社の本来の名前は高宮神社で高宮家の祖先を祀っていた可能性が高いのです。1885年に大神神社の宮司松原貴遠は、内務省卿山県有朋に対して摂社神坐日向神と摂社高宮神社の名称の交換を願い出ていますが、許可されませんでした。

頂上の高宮神社の側に黒い磐座があります。奥津磐座です。もちろん写真撮影は禁止です。この奥津磐座も岩石群になっています。机ぐらいの大きさの円盤状の岩石が横に割れています。この岩石が中心石と思われ、黒くしっとりとした質感とその丸みが尋常でないものを感じさせます。周りの山々のほとんどが花崗岩なのに、この三輪山には斑糲岩の岩脈が通っており、この磐座も斑糲岩です。

奥津磐座と中津磐座は、禁足地の中にありますが、辺津磐座は三輪山の麓に散在する磐座を指すと言われています。志貴御県坐神社の四つの石、平等寺の石組、素戔嗚神社の回り石、大神神社参道の夫婦岩、磐座神社などがそれにあたります。

大神神社によると、奥津磐座には大物主(おおものぬし)大神が祀られ、中腹の中津磐座には大己貴(おおなむち)命、麓の辺津磐座には少彦名(すくなひこな)命が祀られています。その根拠は、以下のようなものです。

『古事記』には、「吾(あれ)をば倭の青垣の東の山の上にいつき奉れ。と答え言(の)りたまひき。こは御諸山(みもろやま)の上に坐(ま)す神なり。」と書かれ、大物主大神が三輪山の山頂に祀られていることと解釈されています。また、『大神崇秘書(1119)』によると、第5代孝昭天皇が中津磐座に大己貴命を祀り、第22代清寧天皇が辺津磐座に少彦名命を祀ったと書かれています。時代が下るとともに、頂上にある奥津磐座から中津磐座を経て、麓の辺津磐座へと祭祀が広がっていく様子が確認できます。

現在では、「磐座」というと大神神社がその代表格のように言われていますが、大正時代には大神神社の磐座祭祀は途絶えていて、大神神社は三輪山の磐座に対して祭祀していませんでした。いつ頃から三輪山の磐座祭祀が途絶えたかはわかりませんが、少なくとも大正時代には行われていませんでした。

この磐座祭祀を復活させたのは、大神神社に神職として奉職していた小林美元と考えられます。つまり、現在のように、三輪山の岩石に対して大神神社が祀り始めたのは昭和の中頃からと考えられます。

一時期は祭祀が中断されていましたが、磐座(狭義の磐座)に分類しました。

なお三輪山の奥津磐座は、写真撮影が禁止されているため、大神神社の拝殿の写真を掲載しています。 

 

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