183 奈良県 三輪山 大直禰子神社の神饌石

【Introduction of Iwakura183】Visit・Photo:2013.4.29/Write:2025.8.9


□分類:【新】信仰設備(広義のイワクラ)

□信仰状況:信仰に用いられている。

□岩石の形状:岩単体

□備考:供物台に用いられたのは最近である。


 

□住所:奈良県桜井市三輪

□緯度経度:34°31'49.353"N 135°51'01.701"E

 

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 大直禰子神社の拝殿の前に神饌石(みけいし)があり、立看板には「この御石はお正月のご神火まつりの時、久延彦神社に神饌をお供えする石です。知恵の神様久延彦神社へお参り出来ない方はここから遥拝してください。」と書いてあります。

久延彦神社は、大直禰子神社の東に100メートルしか離れていませんが、小高い丘の上で少し参拝しにくい場所に鎮座しています。

久延彦神社には、「久延彦」という珍しい神様を祀っています。鎌倉時代に書かれた『大三輪神三社鎮座次第』には曽富止神社(そほどじんじゃ)と記載されており、古くから大神神社の摂末社として祀られていました。

 

久延彦については『古事記』に次のように書かれています。

「故、大國主神、坐出雲之御大之御前時、自波穗、乘天之羅摩船而、內剥鵝皮剥爲衣服、有歸來神。爾雖問其名不答、且雖問所從之諸神、皆白不知。爾多邇具久白言自多下四字以音「此者、久延毘古必知之。」卽召久延毘古問時、答白「此者神產巢日神之御子、少名毘古那神。」自毘下三字以音。故爾、白上於神產巢日御祖命者、答告「此者、實我子也。於子之中、自我手俣久岐斯子也。自久下三字以音。故、與汝葦原色許男命、爲兄弟而、作堅其國。」故自爾、大穴牟遲與少名毘古那、二柱神相並、作堅此國。然後者、其少名毘古那神者、度于常世國也。故顯白其少名毘古那神、所謂久延毘古者、於今者山田之曾富騰者也、此神者、足雖不行、盡知天下之事神也。」

大国主神が美保の岬で、ががいもの実の船に乗って、ひむしの皮を着て、近づいて来る神がいた。誰もその神の名を知らなかったが、蝦蟇(がま)が「久延毘古くえびこがきっと知っているでしょう」と言ったので、久延毘古を呼んで尋ねると「この神は、神産巣日(かむむすひ)の御子の少名毘古那(すくなびこな)です」と答えた。こうして、大穴牟遅(おおなむじ)と少名毘古那の二柱の神が共に協力して、この国を作り固められた。後に、少名毘古那は、海原の彼方の常世に渡った。久延毘古は、今では山田の曾富騰(そほど)という案山子である。この神は、歩くことはできないが天下の全てを知っている。

ガマガエルやカカシが登場して、なんとも寓話的な物語です。

 

さて、この神饌石ですが、祭祀の供物台ですので、神を降ろす狭義の磐座ではなく、信仰設備(広義のイワクラ)に分類されます。

また、1960年の『大美和19号』には「(若宮社)本殿正面前庭の東方に大きな横長の自然石が横たわっている。上部が机のように平坦である。おそらくは昔の大御輪寺の堂宇の礎石の一つであつたのだろう。」と記載されており、若宮社の境内に横たわっていた単なる岩でした。いつ頃から神饌石と名付けられたのかはわかりませんが、最近のことですので、古代祭祀と区別するために【新】を付けて【新】信仰設備(広義のイワクラ)としました。

 

イワクラハンター 平津豊

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