182 奈良県 三輪山 大直禰子神社の安産石

【Introduction of Iwakura182】Visit・Photo:2013.4.29/Write:2025.8.3


□分類:磐座(狭義のイワクラ)

□信仰状況:神社に祭祀されている。

□岩石の形状:石単体

□備考:


□住所:奈良県桜井市三輪

□緯度経度:34°31'49.028"N 135°51'00.726"E

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大神神社の二の鳥居の北150メートルの大直禰子神社(若宮社)は、大田田根子(おおたたねこ)を祀る神社です。

『日本書記』によると、崇神天皇の御代、疫病が流行り国内が混乱した時、大物主神が倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)に憑依して、「もしわが子、大田田根子に、吾を祀らせたら、たちどころに平らぐだろう。」と言った。茅渟県の陶邑で大田田根子を見つけて大物主神を祀らせると、疫病は収まり、国内も鎮まり、五穀が実って、百姓は賑わった。と書かれています。

『日本書紀』では、大物主神と陶津耳の娘の活玉依媛(いくたまよりびめ)の息子が大田田根子です。『古事記』では、大物主神と、陶津耳命の娘の活玉依毘売の3代目の孫が意富多々泥古となっています。

どちらにしても、大物主神の子孫の大田田根子が、大物主神への祭祀を行ったことになります。

この大直禰子神社は、明治以前は大御輪寺(だいごりんじ)という神宮寺でした。ですから社殿は、寺院様式となっています。さらに、大御輪寺という名称も鎌倉時代に付けられた名称で、それ以前は大神寺や三輪寺と呼ばれていました。実際の創設については不明ですが、文献上は770年頃まで遡れます。

 

境内に御誕生所社があり、安産石が祀られています。『三輪大明神縁起』によると、「垂仁天皇の御代に武一原大納言の娘の元へ、三輪大明神が通って神子を産んだ。しかし、生まれて七日目に母が亡くなり、悲しみのあまり邸内の石の上で泣き伏していた。ある日、三輪明神が現れて母の形見を与えたので、神子は泣き止み、それからは父神の住む御本社にお参りするのを唯一の慰めとして暮らした。この大納言が自分の住む家を寺風に造りかえたのが、大御輪寺の始めである。

話には続きがあり、その神子が十歳の折、大御輪寺の寺内の一室に閉じ籠って姿を見せなくなった。のちに聖徳太子が御参詣になり、御戸を開かれると、十一面観音菩薩像に生身入定されていたという。」

この十一面観音菩薩像は、大御輪寺のご本尊でしたが、明治の神仏分離の折に聖林寺に移されました。ちなみにこの観音像は、アーネスト・フェノロサによってその美しさを絶賛された仏像です。

 

さて、この話に登場する神子が泣き伏していた石が安産石であると言われています。

『大神神社境内地発掘調査報告書(寺沢薫、奈良県立橿原考古学研究所編集、1984)』によると、「磐座」と表記されています。滑石製模造品や須恵器も出土しています。また、安産岩の伝承に「三輪大明神が現われた」という記述が含まれていることから磐座(狭義の磐座)に分類しました

イワクラハンター 平津豊

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