136 三重県 朝熊山の岩盤

【Introduction of Iwakura 136】


□分類:岩石信仰(広義のイワクラ)

□信仰状況:祭祀されていないが過去に信仰の形跡あり。

□岩石の形状:岩盤

□備考:祭祀されていた岩石が破壊された跡である可能性


□住所:三重県伊勢市朝熊町

□緯度経度:34°27'34.820"N 136°47'30.524"E

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 「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭に歌われるように、江戸時代の伊勢参りは、二見ヶ浦で禊を行い、外宮、内宮を参拝して、朝熊山の金剛証寺に参拝するのが一般的でした。

朝熊山の山頂のレストハウスの展望台に岩盤が露出している場所があります。この岩盤が岩石祭祀の跡ではないかといわれています。今は、注連縄も張られておらず祭祀はされていません。

この場所は、西に伊勢の内宮があり、東に太陽信仰のゲーター祭りで有名な神島が見えます。そして、その神島の先には富士山が見え、さらに夏至の日は、この方向から太陽が昇ってきます。二見ヶ浦の夫婦岩【Introduction of Iwakura 132】と同じような現象の起こる位置なので、ここで岩石祭祀が行われていても不思議ではありません。

すぐそばの朝熊岳金剛證寺は、6世紀後半の暁台上人の開基といわれ、弘法大師が福威知満(ふくいちまん)虚空蔵菩薩を祀りました。伊勢の内宮から東にあるため 「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びついて隆盛を極めました。特に、虚空蔵菩薩の眷属である雨宝童子は天照大御神の化身とされ、樒(しきみ)ではなく、榊(さかき)が供えられました。平安時代以降は衰退しましたが、室町時代に臨済宗によって再興されました。

また、伊勢鳥羽地域には、亡くなった人の魂は朝熊山へ昇るという考えがあり、葬儀の後に金剛證寺の奥の院へお参りして卒塔婆を立てる「岳参り(たけまいり)」が行われます。宗派や仏教・神道に関わらずに行われる風習です。伊勢鳥羽の人達にとって、この朝熊山が特別な聖山であったことがわかります。それは、やはりこの山頂の岩石信仰に関わりがあるのではないかと考えます。

筑紫申真の『アマテラスの誕生(2002)』に「朝熊山に、大神宮の乗り給うたとて、磐舟といい、注連を張った伝説の石がある」と書かれた文献があると記されています。また、藤本浩一の『磐座紀行(1982)』には、「朝熊山には船形石があり、大神降臨の時の天の岩船と伝えられているが、今は山になく市中に移されている。偶然に知っている人に出会い、岩船に案内してもらった。奥の六畳間には仏壇を祀り、前の八畳の室は床を落として、岩船石を安置してある。長径2メートルの上面は鏡のように滑らかで、高さは50センチメートルである。注連縄をめぐらせて礼拝できるように灯明をともしている。」と書かれています。10年前に、この岩船石を探しましたが見つけることはできませんでした。情報をお待ちの方は、是非お知らせください。

展望台のある伊勢志摩スカイラインの建設が始まったのは1962年なので、藤本浩一が見た岩船石は、展望台の岩盤の上に祀られていた岩石で、工事から避難するために山から降ろされていたのかもしれません。そうであるならば、この朝熊山の岩盤は、古代祭祀の岩石が破壊された跡という事になります。

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