【Introduction of Iwakura 125】
□分類:磐座(狭義の磐座)
□信仰状況:祭祀されていないが過去に信仰の形跡あり
□岩石の形状:巨岩組、メンヒル(立石)
□備考:
□住所:三重県伊勢市宇治館町
□緯度経度:34°27'37.441"N 136°43'31.634"E
(googleに入力すれば場所が表示されます)
伊勢の内宮のすぐ近くに磐座が鎮座しています。神宮には数多くの参拝者が訪れていますが、この磐座は一般的に知られておらず、参拝する人はほとんど見かけません。2012年~2014年にイワクラ学会が注目して物議を醸しました。この磐座の場所を明らかにした事に対し、一部の神道家達が、秘匿しなければならない磐座なので、場所を明かしてはいけないと非難したのです。
内宮の宇治橋を渡ると直ぐに北に進み、子安神社を過ぎて、神宮司庁を突き進むと小高い森が見えてきます。この森の中に問題の磐座が鎮座しています。
この内宮の磐座は、数個の岩石を組み合わせた10メートルほどの大きさで、その長径は東西方向を向いています。空に向って突き出た部分は、男根石と思いますので、この磐座は男神を祀る磐座であったと考えられます。
矢野憲一氏によると、古代からこの辺りは岩井田山と呼ばれて、岩井の社があり、明治のはじめまでは祠もあったそうです。さらに、鎌倉時代には、石部氏が山神岩ノ社を祀っていた記録があるとのことです。また、皇學館大学も、かつて、岩の社があったことを認めています。
しかし、現在は、この磐座には注連縄が掛けられておらず、祭祀されている形跡がありません。なぜ、この磐座の祭祀が中止されてしまったのでしょうか。祀る人が居なくなり自然に忘れられたのでしょうか。ところが 忘れられてはいないのです。
伊勢の神宮の式年遷宮は、20年に1度、みやどころを改め、社殿や神宝など全てを一新して大神を新しい宮にお移り願う神宮最大のお祭です。この式年遷宮は33に及ぶ祭儀で構成されていて、祭儀は遷御の8年前から始まります。その最初の祭儀である山口祭は、なんと、この磐座の前の広場で行われるのです。このような重要な祭りが、なぜ、この磐座の前で行われているのでしょうか?
山口祭は、遷宮の造営にあたり、御用材を伐採する御杣山の山の入り口に住む神を祀り、伐採と搬出の安全を祈る非公開の祭りです。さらに、この深夜には、心ノ御柱の御用材を伐採するに際して、木の本に住む神をお祭りする木本祭も行われます。
山口祭について、神宮綜覧(1915)にも次のように書かれています。「御杣山に坐す神を山口に祀る祭儀なり。即ち御造替作業の第一著手にして、古は前式年より十七年目に行はれしも、今は早く十四年目に行はる。古来御用材は宮域内にて伐採せられしに因り、今も祭場は、内宮は宮域附近なる石井神社の舊地、外宮は土宮の傍なる祭場を用ゐらる。」石井神社の舊地(旧地)とは、この内宮の磐座を指しています。
山口祭では、地主神が降臨するこの磐座に対して、鶏などの生贄を捧げて、天照大御神をこの地に祀る許可を得る神事が密かに繰り返されているのではないでしょうか。
また、武部正俊氏は、この磐座が正宮の真北600メートルに位置しているため、正宮の参拝者は、この磐座を拝んでいることになるのではないかと指摘しています。私達は、伊勢のご正宮の前に立ったとき、何に対して感謝と祈りを捧げているのでしょうか?
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